抹茶を喫(の)むという風習は、鎌倉初期、日本に禅宗を伝えた栄西(えいさい)禅師が茶道具一式と茶種を宋から運んで、日本に広まったと伝えられている。
養生の仙薬、延齢の妙薬と紹介された禅院の茶は、室町時代に入り異国趣味の香りを放つ嗜好品として、禅院から足利将軍家や武家、公家の間に流行し、舶来 の唐物を飾り立てた華やかな茶会が催されるようになった。特に足利将軍家は、日明貿易を背景に膨大な数の唐絵、唐物を輸入し、東山御物(ひがしやまぎょぶつ)と呼ばれる一大コレクションを誇った。8代将軍義政が収集した東山御物の一部は、義政が営んだ東山殿(現在銀閣寺)にも伝えられた。
武家や公家が愛好した唐物の陶磁器や漆器は、各地の陶窯や漆工芸に刺激を与えて、その写しが日本でも作られるようになるが、室町末期に入ると、経済力を 得た町衆が喫茶に親しむようになって、茶は日本的展開をみせるようになる。千利休らによって完成された茶の湯は、井戸茶碗など朝鮮の茶器や日常雑器を取り 入れるなど、新しい美意識を語るものであった。茶はここにきて、禅的精神が色濃く投影された『枯淡幽玄』ともいうべき、侘(わ)び数奇へと昇華したのであ る。
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