544 葵祭が始まる
794 平安京建都 (今の京都市)
869 祇園祭が始まる
1192 鎌倉幕府開設
1333 鎌倉幕府滅亡
1336 南北朝に分裂
1338 足利尊氏、室町幕府を開く
1339 足利尊氏が禅寺である天龍寺を建立
1342 幕府、禅寺の五山十刹を改める
1368 義満 室町幕府第3代将軍となる
1392 南北朝合一
1394 義満 将軍職を辞し太政大臣となる
1395 義満 太政大臣を辞し出家する
1402 義満、明との国交を回復する
1404 勘合貿易はじめる
1462 池坊専慶が佐々木邸で立花を行う
1467 応仁の乱おこる
1473 義政、将軍職を辞す
1485 義政、出家する
1490 義政、死去する
1543 鉄砲伝来
1549 キリスト教伝来
1573 室町幕府滅亡
1579 楽長次郎が千利休の指導で茶碗
1579 をつくり、楽焼を始める
1582 本能寺の変
1594 豊臣秀吉が伏見城築城
1596 この頃、平田道仁が朝鮮から七宝
1596 の技術を学び、有線七宝を確立
1598 豊臣秀吉が醍醐の花見の宴を催す
1600 関ヶ原の合戦
1603 徳川家康が徳川幕府開設
1603 徳川家康が二条城を築城
1603 出雲阿国らが歌舞伎踊を始める
1615 この頃、三文字屋九右衛門が
1615 粟田口焼を始める
1620 桂離宮造営開始
1641 この頃、音羽屋惣左衛門、
1641 音羽焼を始める
1646 千宗旦が今日庵を建てて、隠居
1659 修学院離宮造営
1662 この頃、大文字の送り火が始まる
1684 この頃、友禅染が起こる
1867 大政奉還
1877 京都駅竣工、京都・神戸間開通
1890 疏水(琵琶湖)完成翌年から
1895 時代祭が始まる
1994 平安建都1200年
平安
鎌倉
1275
1311
南北朝
1339
1351
1358
1374
1382
1383
1385
1386
室町
1392
1393
1394
1395
1399
1397
1398
1397
1398
1399
1401
1402
1403
1404
1408
1416
1420
1425
1467
1482
1483
1486
1487
1489
1490
1527
安土
桃山
1574
1584
江戸
1604
1615
1620
1624
1649
1759
1765
1788
1843
明治
1889
1904
大正
昭和
1926
1936
1950
1951
1955
1958
1965
1984
1987
平成
1990
1998
2000
2011
夢窓疎石生まれる
春屋妙葩生まれる
夢窓疎石が西芳寺(苔寺)を復興
夢窓疎石示寂 77歳
足利義満生まれる
義満 新邸室町殿に移る
臨済宗夢窓派の禅に傾倒していた義満は、
禅寺を創建したいと発願新寺の名称は「相国寺」と定まり、
仏殿と法堂の建設がはじまる
相国寺の寺号は「萬年山相國承天禅寺」に決まり、
義満は故夢窓疎石を開祖とし、春屋妙葩を二世住持とする
着工から3年をかけて相国寺の仏殿が完成
(以後、三門、僧堂、法堂が相次いで完成
さらに義満の檀那塔鹿苑院をはじめとして、
歴代足利将軍の牌所などが建てられる)
義満 相国寺を京都五山(禅院の格式制度)の第二位とする
着工から10年を経て相国寺の伽藍が完成し、落慶供養が行われる
相国寺七重大塔の建設がはじまる(6年後完成)
直歳寮から出火し、相国寺全焼する
義満 絶海中津のすすめで再建を決意する
相国寺の仏殿の再建がはじまる
相国寺の七重大塔が完成する
義満 京都北山にある西園寺家の邸宅と庭園をゆずりうけ、
別荘北山第の造営に着手し、舎利殿(金閣)の建設をはじめる
北山第の舎利殿(金閣)が完成する
義満 京都北山にある西園寺家の邸宅と庭園をゆずりうけ、
別荘北山第の造営に着手し、舎利殿(金閣)の建設をはじめる
北山第の舎利殿(金閣)が完成する
相国寺の七重大塔が完成する
幕府 相国寺を京都五山の第一位とする
義満、来日した明の使者と北山第で面会する
義満死去
後小松天皇 北山第に行幸する
唐絵唐物が献上される
北山第に造営中の相国寺七重大塔、落雷により炎上、焼失する
義満の遺言により北山第は、
禅院の鹿苑寺に改められ、夢窓疎石を観請開山とする
賢徳院より出火し、相国寺全焼する
足利義持、相国寺仏殿の再建をはじめる
応仁の乱により、相国寺の東司や総門など、兵火にあい焼失する
応仁の乱により、金閣などを残して鹿苑寺焼失する
義政、東山山麓に山荘(東山殿)の建設をはじめる
(工事は、義政が没する1490年まで断続的に続けられ、
常御所、西指庵、東求堂、会所、観音殿銀閣などが建てられた)
東山山荘に、常御所が完成し、義政移る
東山山荘に義政の持仏堂である東求堂が完成し、
書院は同仁斎と名付けられる同仁斎は、茶室の源流となる
東山山荘に会所、泉殿完成する
東山山荘の銀閣の建設がはじまるが、秋、義政、発病する
義政の死去後、銀閣が完成する
義政の遺言により東山山荘は禅院に改められ、
翌年慈照寺と名付けられる
相国寺の鹿苑院焼失する
織田信長、相国寺方丈に堺衆を集め名物披露の茶会を催す
西笑承兌、相国寺第九二世として入寺し、同寺の復興に尽力する
相国寺 法堂の再建が始まり、翌年完成する
家康、相国寺の鹿苑僧録の役職を廃止する
京都で大火がおこり、相国寺、大半を焼失する
このころ鹿苑寺に茶室、夕佳亭が建てられる
(明治初年に焼失、同7年に再建される)
このころ鹿苑寺住持の鳳林承章、野々村仁清と交流する
伊藤若冲、鹿苑寺大書院の襖絵を完成する
若冲 相国寺に釈迦三尊図動植綵絵24幅を寄進する
天明の大火により、相国寺は法堂と数院を残してほとんど焼失する
相国寺 鐘楼建立
相国寺(独園) 若冲の動植綵絵を宮中に献納する
鹿苑寺の金閣の解体修理が完了する
相国寺の大書院竣工
相国寺の奥書院(小書院)竣工
鹿苑寺の金閣、放火により全焼する
慈照寺の銀閣と東求堂が国宝に指定される
鹿苑寺の方丈と大書院の修理が完了する
慈照寺の東求堂の解体修理が完了する
相国寺内に承天閣美術館が開館する
金閣の改修が完了し、金箔張り替えられる
相国寺の法堂解体工事に着手
相国寺の法堂の修理が完了する
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相国寺鐘楼「天響楼」建立
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