今をさかのぼること600余年、内乱の合一を目前とした室町幕府3代将軍足利義満によって一つの禅刹が創建された。足利将軍家を壇越とし、幕府の威勢を背景に禅宗世界を統轄するほどの興隆をみせた。それが萬年山相國承天禅寺である。夢窓疎石を勧請開山とし、春屋妙葩によって巨大な寺容が整えられていった。歴代の住持は足利氏の厚い帰依によって夢窓派で占められ,相国寺の塔頭は歴代足利将軍の牌所となる。 しかし、相国寺の性格は足利家の単なる菩提寺にとどまるものではない。

 

五山派の僧事を統べる僧録は二百数十年の長きにわたって鹿苑院塔主(ろくおんいんたっす)が務めたので、幕府の夢窓派保護と相俟って、相国寺は室町期の外交・文芸を主導した五山僧を掌握することとなった。室町期の幕府外交は、漢文・漢詩文の才に長けた五山僧によって担われ、五山叢林において五山文学が花開いた。さらに、全国にちらばる五山領は幕府の主要な経済的基盤の一つであった。これらのことからして、相国寺は室町幕府の宗教・文芸・外交・財政を体現する重要な役割を担っており、その運命は室町幕府の盛衰とともにあったといえよう。

 

 

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