鎌倉時代に伝えられた禅宗は、歴代の室町将軍の手厚い保護をうけて隆盛をきわめ、室町文化の形成に大きな役割を果たした。
それは相国寺をはじめとする多くの禅僧が、中国に渡って大陸の文化を吸収し、宗教者としてだけではなく、一流の知識人、文化人、文学に優れた文人として その才能を発揮したことによる。絵画にあっても、画僧は指導的役割を果たしたが、その方向が、宗教的な深化に向かわず、詩画軸の水墨山水にみられるよう な、鑑賞を目的とした純粋芸術にあったとことは注目されよう。
禅宗の美術には、「相国寺創建に関わった人々」 で紹介したような写実的な頂相(ちんそう)や頂相彫刻のほか、羅漢図や観音図、寒山拾得(かんざんじゅっとく)といった道釈人物画、文人黒戯の影響をうけ た水墨による華卉図や山水がある。禅宗が伝来した初期は、絵仏師が国内の需要に応じていたが、次第に禅僧が制作を手がけるようになり、可翁(かおう)や明兆(みんちょう)のような専門的画僧が登場、さらに大陸で画を学んだ周文や雪舟が活躍して、宋元画の模倣を超えた個性的作風を示した。
周文は相国寺で事務系の都司職(つうすしょく)についていたほか幕府の御用絵師でもあった。そしてその地位は宗湛(そうたん)を経て在俗の絵師、狩野正 信(かのうまさのぶ)、元信(もとのぶ)へと引き継がれ禅宗を基盤に展開した水墨画は、装飾的なやまと絵と融合し、視覚的な近世絵画へと発展したのであ る。

 

 

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