洞窟達磨図
鎌倉時代 無象静照(ムショウジョウショウ)賛
縦107.5 横54.5 鹿苑寺蔵
無象静照(一二三四〜一三〇六)は鎌倉に生まれ東福寺の聖一国師に師事した後、各地を遊歴する。十九才のとき入宋して、径山の石溪心月について参究し、印証を得る。
のち育王山の虚堂智愚の門下に入り虚堂が柏巖慧照寺、浄慈寺、径山と諸刹を歴往すると、それに随う。文永二年(一二六五)帰朝するのであるが、この時より与えられた墨蹟が有名な(国宝・破れ虚堂)であり、実に虚堂自身の書いた同じ偈が当館にも一枚所蔵されているのである。
その後無象は、京都に佛心寺を、鎌倉に龍華山真際精舎を、常陸(茨城県)には興禅寺を開き、筑前(福岡県)聖福寺や鎌倉浄智寺にも住持した。
また無学祖元の来朝により開かれた円覚寺では無象も分座説法したことや、叡山徒衆の禅宗弾圧には「興禅記」を著して弁駁したことでも著名である。
黙 々 坐 九 霜 孤 風 更 没 雙
熊 峯 凉 夜 月 清 影 落 千 江
無象静照拝賛