空谷明応像(くうこくみょうおうぞう)

室町時代 高115.0 幅97.0 奥行65.0
木造 大光明寺蔵

 

空谷明応(1328〜1407)は、夢窓疎石の弟子である無極志玄(ムキョクシゲン)の法を嗣いだ禅僧で、足利義満の信頼を得て、春屋妙葩のあと相国寺第3世の住持として草創期の相国寺の基礎を築いた。相国寺には3度住持し計6年2ヶ月つとめたほか、再度鹿苑院の僧録となって、五山系の禅宗寺院の統制にあたった。
曲ろくに坐し禅定の印を結ぶという一般的な頂相彫刻の形式をとる。錆漆を厚くかけて地固めし、彩色を施したと考えられるが、現在は剥落退色し黒光りしている。顔の表現はやや堅さを感じさせるものの、目の下のふくらみや、鼻から口にかけてのゆったりとしたモデリングなど、空谷明応の個性的な相貌を巧みにとらえているといえよう。