鹿苑寺の大書院の4間、および狭屋之間(さやのま)の床壁と襖には、若冲によって障壁画がそれぞれ描かれている。これらは水墨画の分野において全く独創的境地を確立したとされる若冲の傑作として声価が高い。
二之間の松鶴図のところに 俯仰松間路 明心在紫霄 宝暦己卯孟冬 居士若冲造 とあり、宝暦9年(1759)10月、若冲44歳の時の作品であること が知れる。鹿苑寺にこの作品を描くことになった機縁は、若冲の精神的支えとなった当寺の梅荘顕常(大典禅師)であった。
宝暦9年9月に龍門承猷が鹿苑寺第七世住持に決定した折梅荘顕常の斡旋により、入寺の記念の意味も含めて若冲に依頼し、大書院一連の襖絵50面を描かせたのであった。
それにしても、本職の画家となってわずか4年、何のキャリアもない若冲の本質を見抜き、後水尾天皇ゆかりの玉座の間を含む5間にわたる障壁画を若冲1人に委ねた大典の慧眼には、心から敬意を表するのである。

 

鹿苑寺大書院 障壁画

 

 

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