白鷹図(はくようず)
伝徽宗筆 蔡攸賛 宋時代
縦131.5 横65.1 鹿苑寺蔵
北宋8代皇帝徽宗(キソウ)(1082〜1135)は、一代の風流天子として知られるが、政治は、蔡京(サイケイ)、童貫などに任せて失政が多かった。しかし文芸の保護、育成には熱心で、翰林院に書院、画院の制度を整備し、画家の待遇を改善し、書画院を開設して入学試験には自ら出題し、製作を指導したといわれる。
画を、北宋画院で花鳥画に新風をふき込んだ呉元瑜(ユ)に学び、精緻な写生的花鳥画を得意とした。
この白鷹図は、スケールの大きい北宋画院の一典型といえ、その品格の高い堂々たる画風は、まさに帝王の画にふさわしいものがある。
蔡攸(サイユウ)は賛して、「墨痕は淋漓として雲霓(ウンゲイ)(雲と虹)を厥(ツ)き、眼は金星、衣は玉雪、羽の根は劍、利き爪は錐の如し。いつの日か索をちぎって萬里の大空へ飛び立つであろう。」と詠う。
蔡攸は、蔡京の長子で、父、弟?(ユウ)と共に徽宗につかえた。英国公に封ぜられ、樞密院を領した。しかし、欽宗が立つにおよび、弟と共に誅せられた。