長 得 院

相国寺第十九世佛慧正續国師鄂隠和尚の禅室、塔所であり、はじめは大幢院と号しました。師は絶海和尚に従い参究します。至徳年間(1384?87)明国に遊び、諸山の名宿に歴参すること十余年、帰朝して絶海の法を嗣ぎ、等持寺を経て応永十七年(1410)相国寺に入寺(第十九世)しました。
また、大内義弘の請に応じて周防の瑞雲寺を開き、また阿波の寶冠寺に住し、応永二十四年(1417)天龍寺に入寺、九月五日退山。以後土佐の吸江庵に隠棲してその中興となり、応永三十二年(1425)二月十八日同庵にて遷化されました。同年二月二十七日義量薨じて長得院殿と号し、当院を影堂とし、寺号を長得院と改名します。現在の建物は天明の火災の後、文政三年(1820)庫裡再建、天保五年(1834)旧慈受院よりの金百七十両の助資金によって客殿を再建しました。