高峰 顕日(こうほう けんにち:1241 - 1316)

 鎌倉時代の臨済宗の僧。仏国派の祖で、南浦紹明とともに天下の二甘露門と称された禅僧。号は高峰。別に密道と称する。諡号(シゴウ)は仏国禅師・応供広済国師。後嵯峨天皇の皇子。東福寺で円爾弁円や建長寺で兀庵(ゴッタン)普寧に参じ、下野那須(シモツケナス)の雲巌寺を開創。無学祖元の来日を知り、建長寺で参じ法を嗣いだ。また一山一寧にも参じる。鎌倉の浄妙寺・万寿寺・浄智寺を歴住し、建長寺の住持となり、晩年は雲巌寺に帰る。参禅を請う学徒は多く、東国に禅宗を宣揚し、法嗣に太平妙準・夢窓疎石・天岸慧広らを出して門派を形成し、夢窓とその派はのちの五山派を代表する勢力となった。